2006 Area M`s Planning Co.,Ltd
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国分寺市植木組合 45周年の歩み
国分寺市は 今や東京の植木生産の中心となっています。
東京での植木生産が始められたのは、明治25年頃に調布・小金井が最初の様である
その頃 国分寺でも5〜6軒の農家が生産を始めた様だが 本格的に始まったのは
1960年代 昭和30年代中頃になってからで その頃 国分寺市の農家は
野菜中心で現在の有人・無人販売の様に 自分で値を付けて販売する事が出来ませんでした。
そこで植木は自分で値を付けることが出来ると 現在の東元町の小柳友一氏は考え
植木の生産を始められたそうです。
昭和30年中頃 当時 3円ほどの苗が2年後には45〜50円位で取引されたそうです。
小柳友一氏の呼びかけでJAの理事との協議を重ね 植木生産の発展と産地化を目指し
国分寺市植木苗木生産振興会(後の国分寺市植木組合)が 1962年 昭和37年に
各地域の賛同者により結成され 初代会長に小柳友一氏が就任された。
その2年後には三多摩地区の各組合ほかが結集し 東京都三多摩植木苗木生産団体連合会
(後の植木農協)の結成に至った。
国分寺市植木苗木生産振興会は 発足当時 会員数60名以上で 発足後 数年で
当時の会員で国分寺駅構内にツツジ サツキ他を植裁し 現在も組合の青年部団体 緑栄会が引き継ぎ 構内 駅周辺を飾り 駅利用者を和ましています。
会発足後 初めての会員による共同作業でありました。
また資材等の共同購入も行われ
苗木を始め縄 コモ等を
共同購入したそうです。
購入した 苗木 コモ 資材等は
貨物列車の貨車で届いたそうです。
小柳氏ならびに田中氏の畑を
お借りし植木交換会場とし
定期的に交換市が盛大に
開催され この影響もあり
組合員も100名を越え
市内の植木生産は大いに発展していったそうです。
この頃はおりからの緑化ブーム 高度成長に乗り 国分寺に植木ありとまで言われたそうです。
しかし交換会場も三度の移転後 近年の諸般の事情により平成3年には閉鎖となってしまい
長年開催されていた即売会は 生産振興会結成の2〜3年後に本多公民館での
開催に始まった その後 本多八幡神社 多摩動物公園 そして最後に開催された
国立駅駅前も 駅前開発により休止され現在も後継候補地を探しているところである
後継者の会である緑栄会は 本会発足後5年後に発足し現在に至り 本会に優秀な
人材を送り込んでいる 当時 萩原誠一氏の呼びかけで22〜35才位までの若者が集まり
22名で発足したそうです。
現在の活動としては JA東京むさし並びに国分寺市役所の協力のもと 昔から三多摩地域が
産地である 花水木のブランド化を目指し 新しい母樹の導入 そして良品種の選別とともに
1.5m前後の花付から各規格に対応すべく より充実した生産に努めている
ブランド化とありますが成長もよく 花付きもよく また色濃く花も大きめの
三拍子揃ったビューティーレッドを主に生産しております。今後も新しい国分寺ブランドを
生産していきたいと思っております。
また コガネムシの共同防除・土壌改良の為の堆肥等を積極的に導入し良品の
植木・苗木生産に努力しています。今後とも市民の皆様 関係各位のご指導 ご協力のもと
国分寺の植木が益々繁栄し 当会も60周年70周年と努力していきたいと思っております。